第1章 夢が好き

 夢を見るのが大好きだ。未来の夢とか、希望とかじゃなくて、夜眠っているときに見る夢のことだ。
 夢の中では、ぼくはヒーローであり、絶対君主であり、神だ。
 悪い政治家がいれば、水戸黄門の印籠がなくても懲らしめてやることができる。多額の現金を受け取る現場に踏み込んで、有無を言わせず満天下に公表できる。日頃威張っているやつらを土下座させることができるのだ。
 犯罪を暴くことだってできる。人殺しをして嘘を言っている連中に自白させることができるし、詐欺や覚せい剤で儲けているやつらの悪事を暴くことができる。
 嫌な上司や先輩へ仕返しもできる。まあ、大した仕返しはできないけれど・・・・。
 街中をピョンピョンと跳ね回るコマーシャルと同じように跳ねたり、スーパーマンのように空を飛ぶこともできる。瞬間的にいろんな場所へ移動したりすることもできる。女風呂や女子更衣室を覗いたりもできる。
 どんな美女とだって、デートはもちろん、あれを・・・・やることができる。口説かなくたって、ぼくについてくる。ぼくの思いのままだ。
 現実は面白くない。眠っているときだけは、ぼくの天下だ。だから、ぼくは夢を見るのが好きだ。

 ぼくはある小さな広告代理店に勤めている。ぼくの仕事は、デパートやスーパーなどの広告用チラシを作ることだ。毎日同じ事の繰り返しで、面白いものではない。だけど、仕事はそれなりに頑張っているつもりだ。
 今日もいつものチラシ作りだ。モニターに映る、ポーズを取る女の写真をマウスで移動させて、位置決めをする。値段を確かめて、ラベルを貼る。大特価の文字を入れるの忘れない。それの繰り返し。今日のチラシは、左上にトップスを配置。左下にボトムスを、右上には子供用品、右下にはインナーだ。
 インナーのモデルは、外人が多い。と言うのは、インナーの日本人のモデルは、数が少なくて、モデル料が高いのだ。勿論、外人が安いってことはない。製造元から、外人モデルの写真を提供してもらうから、安く済むってことだ。
 売り出し日を大きく上段に入れて、店の名前を右下に入れる。全体のバランス、色合いをチェック。値段表をもう一度チェック。
 カラープリンタで一枚刷って仕上がりをチェック。自分では、まあまあの出来だと思う。
 「社長、出来ましたよ」
 「ご苦労。見せてくれ」
 ぼくは、仕上がったばかりのチラシを社長に手渡した。社長は、値段表を見ながら、チェックする。全体の仕上がりには興味がない。値段だけを穴が空くほど調べている。値段を一箇所でも間違えると、依頼主が大損することもあるのだ。そうなると、もう二度とチラシ作りを依頼してくれなくなる。だから、値段のチェックは、何重にも行うのだ。最終的には、依頼主にもチェックして貰う。それで完了だ。

 自分のデスクの戻ろうとすると、社長が手を上げてぼくを引きとめた。
 「先日の話しは、どうする?」
 社長のいわんとする事はすぐに分かった。しかし、ぼくはちょっととぼけて見せた。
 「先日の話し? ああ、あの件ですね」
 「いい話しだと思うが・・・・」
 社長はレザーの椅子に深々と座り直して、煙草をくわえて火を点けた。
 「そうですね」
 「そう美人じゃないが、手に職もあるし・・・・」
 「ぼくには、もったいないですよ」
 断りたいという気持ちを表しているのに、社長はそんなぼくの態度には無頓着だ。
 「会ってみるだけ、会ってみたらどうかね。こんな話しは滅多にないぞ。君も、来年は40だろう? ひとつしか変わらないが、30代と言うのと、40代と言うのでは、大きな差だ。これが最後のチャンスだと思うが・・・・」
 ぼくは少し諦めた口調で答えた。
 「・・・・会ってみるだけですよ」
 社長の顔が明るくなった。
 「良かった。女房が、好きでね。仲人するのが」
 仲人好きは、社長の方じゃなかったかな? そう思ったが黙っていた。
 「いつにしましょうか?」
 「ちょっと待て。女房に連絡してみるから」
 社長は原稿をデスクの上に置くと電話し始めた。ぼくは、自分のデスクに戻って、別の仕事に着手した。電話する社長の声が聞こえてくる。
 「ああ、そうだ。倉田君が会ってみてもいいと言ってるんだが・・・・」
 社長は、ぼくにオーケーサインを出してくる。
 「分かった。ちょっと待て、倉田君の都合を聞いてみる」
 受話器に手を当てて、社長がぼくに手招きをする。ぼくはほんとは見合いなどしたくない。時間が合わない方がいいなと思いながら、社長のデスクへ近寄って行った。
 「次の仕事は、まだ急がなかったな」
 「来週の水曜日までです」
 「先方は、今度の土曜日が都合がいいと言っているんだが、君はどうだ?」
 「土曜日ですね・・・・」
 システム手帳を取り出して調べてみる。予定は・・・・、入っていない。土曜日は空白だ。何もない。他に断る理由も見つからない。こんな煩わしいことは早めにすませておいた方がいいと考え、ぼくは承諾した。
 「ぼくの方も、特に約束はありません」
 「じゃあ、土曜日正午に、城山ホテルのラウンジで」
 「土曜日の正午、城山ホテルのラウンジですね」
 「そうだ。よろしく頼む」
 「分かりました」
 ぼくは、システム手帳に書き込んだ。承諾したものの、やっぱり止めときゃ良かったと後悔する。急ぎの仕事が入らないかな。そんな淡い期待を抱きながら、自分のデスクに戻った。

 アッと言う間に時間が過ぎて、明日は約束の土曜日だ。淡い期待は露と消えた。急ぎの仕事は入らず、見合いに行かなければならない。溜息が出る。やっぱりきっぱりと断れば良かったと後悔の念ばかりが沸いてくる。
 いつもこうだ。あとになってするから後悔と言うんだろうけど、ぼくの人生は後悔ばかりだ。夢の中だと後悔することはない。何度でもやり直しができるし・・・・。

 目覚ましがジリジリと鳴った。時計の針は午前10時を刺していた。9時に合わせたはずなのに、どうしてだ! 急がないと遅刻してしまう。ぼくは慌てて準備してアパートを出た。
 二度目の車検の迫ったマークUを走らせる。道は混んでない。あっと言う間に城山ホテルに着いた。
 エレベーターの前には、振り袖を着た美人の女が立っていた。見合いの相手が、この女の人ならいいなと思う。しかし、彼女はぼくと一緒には乗らなかった。誰かを待っているようだ。確かに見合い写真の女の人とは違っていた。残念。エレベーターの中で腕時計を見る。午前11時30分。少し早く来すぎたかもしれない。
 ラウンジのある最上階に着いた。エレベーターのドアが開くと、社長夫妻が待っていた。

 「早かったな」
 「そうですね」
 「よく来ていただきましたわ」
 派手な和服に身を包んだ、まるまると太った社長夫人が、嬉しそうな笑顔をぼくに向ける。ぼくは、作り笑いを浮かべる。
 「ご無沙汰しております。今日はお世話になります」
 「いいえ。よろしいんですよ。さあ、お相手のお嬢様がお待ちですよ」
 ふたりに導かれて、ぼくはラウンジの奥へと歩みを進めていく。窓際のテーブルに三人の人物が座っていた。
 「もう1時間も前から、お待ちになっていますのよ」
 そんな社長夫人の言葉に、ぼくはビックリする。1時間も待っていた!? ぼくみたいな男のために? 少し恐縮した。
 見合い相手の女性は、真っ白なドレスを着ていた。恥ずかしそうにずっと下を向いている。
 「ご紹介いたしますわ。倉田崇さんです」
 「倉田です」
 彼女が顔を上げて、ちらりとぼくを見た。ええっ!! 可愛い!! 写真の女の子とぜんぜん違う。ぼくは、社長夫人に小声で耳打ちした。
 「あのう、あの写真の方ですよね」
 「そうですよ」
 社長夫人はすましてそう答えた。そんな答えが返ってきたのに、ぼくは信じられない気持ちだ。別の写真を見せられたに違いない。そうとしか思えない。
 目の前に恥ずかしそうにしている女の人は、ちょっと見る限りでは、中山美穂そっくりの美人だ。
 ぼくは、視線を下げて彼女の顔を覗き込む。すると彼女はさらに顔を下へと向ける。ぼくが視線をあげると、彼女も顔を心持ち上げる。もっとちゃんと顔を見せてくれよ。そう言いたいところをぐっと押さえる。そのうち、イヤでも見せてくれるだろう。

 「なんだか雰囲気がいいようですわね。邪魔してはいけないから、わたしたちは向こうで待っておりますわ」
 おい、おい。もういなくなるの? まだ自己紹介がすんでないよ。そう思うのに、仲人たちはそそくさといなくなってしまった。
 ぼくと彼女は黙ったまま向かい合う。何話せばいいんだろうか? 口火を切ったのは彼女の方だった。
 「倉田さんは、何のお仕事をされているんですか?」
 声も中山美穂に似ている!
 「ぼくの仕事? 聞かれてないんですか?」
 「ええ」
 ぼくは考える。スーパーやデパート、電気屋のチラシ作りなんて・・・・、言えるはずがないな。
 「コピーライターです」
 コピーライター。いい響きだ。自分の言葉に、自分で酔ってしまう。チラシ作りだって、立派なコピーライターに違いない。
 「コピーライター!! かっこいい!!」
 そう言って、彼女が顔を上げた。ぼくは驚きに目を見張る。彼女は、中山美穂そっくりなのだ。ぼくの憧れの中山美穂に。
 「どんなキャッチコピーを作られました?」
 どんなキャッチコピー? 困ったなあ。『本日開店大売り出し』『本日限りの大出血サービス』『大赤札市』そんなものしか浮かばない。
 「ねえ、聞かせてくださらないんですか?」
 「い、いや。たくさんあって、一言では言い表せなくて・・・・」
 「わあ、そんなにたくさんあるんですか。素敵だわ」
 彼女の大きな瞳が輝く。なんて素直な人なんだ! 姿だけではなく、心も綺麗な人みたいだ。ぼくはもう夢中だ。
 「あのう。お名前は? あなたのお名前を聞いてませんでしたね」
 「わたしの名前ですか?」
 「勿論ですよ」
 「聞かれてないんですか?」
 聞いた。先週、この話しを社長が持ってきたときに聞いたのだが、上の空だったから、まったく覚えていない。しかし、そんなことを言うのは失礼だ。
 「写真だけで、名前を聞きそびれてまして・・・・」
 「そうですか。でも、わたしの顔を見れば分かるんじゃないんですか?」
 「えっ!? と言うと・・・・」
 「いやだわ。しらばっくれて」
 ぼくは首を傾げる。まさかねえ。
 「中山です。中山美穂です」
 ぼくは呆気にとられる。
 「はあ?」
 「わたしを知らないなんて言わないでしょう?」
 「あの、まさか、あの中山美穂さんですか?」
 「そうですよ」
 「女優の?」
 「歌手もやってますけど」
 信じられない!! 中山美穂とお見合いだなんて! ぼくは有頂天になる。

 有頂天になりながら気が付く。あれ? おかしいぞ。いくら何でも、中山美穂とお見合いだなんて。ぼくは頬を抓る。・・・・やっぱり痛くない。ふうと溜息が出た。これは夢か。中山美穂が出てくるはずだよ。
 がっくり来たが、すぐに考え直す。夢なら何でも出来るんだ。醒める前にベッドに連れて行こう。

 「あなたは、とても素敵な人だ」
 「あなたもよ」
 夢の中って言うのは、便利だね。ノーとは絶対言わない。
 「ちょっと庭でも散歩しませんか?」
 「いいですね」
 ホテルの庭園を散歩する。見回すと、ホテルが消えてぼくたちはバラの花が咲き乱れた広い庭園の中にいた。広い、広い庭園だ。都内にあるとは思えないくらい広い庭園。
 周りには誰もいない。ぼくは、彼女を抱き寄せてキスした。彼女は、カネボウだったか? ルージュのコマーシャルに出ていたよね。あの画面いっぱいの唇に、ぼくはいつも欲情していた。その唇が今、目の前にある。グロスで輝く形のいい唇が・・・・。ぼくはきっと夢の中であのテレビ画面の唇を思い出しているのだろうが、そんなことはどうでもいい。ぼくは、彼女の唇にぼくの唇を押し当てた。
 勿論彼女は抵抗のひとつもしない。ただ、キスの甘さも何もない。夢って言うのは、こう言うところが今一歩だなと思う。しかし、贅沢は言えない。
 次だ! 次ぎに行くぞ。

 突然ホテルの部屋の中。スイートの広い部屋だ。ぼくたちは見つめ合っている。中山美穂の綺麗な顔がぼくの目の前にある。それだけで、ぼくは幸せな気持ちになった。
 ぼくは、彼女をベッドルームへ誘い、服を脱がせ始める。白のドレスだったはずなのに、目の前の中山美穂は十二単を着ている。どうしてなんだよ。いまさら、抵抗するなんて! 止めてくれよな!
 仕方がないので、一枚一枚脱がせていった。ドレスだって、十二単だって、変わらない。手間がかかるだけで、結局は、裸に行き着くのだ。
 とうとう最後の一枚を剥ぎ取った。彼女のヌードは、光り輝いていた。光り輝きすぎて、よく見えない。夢なんだから、はっきり見せてくれよ!!
 そう願うと、彼女の乳房が見えた。でかい乳房だ。C? いやD? ぼくがサイズを考えると、そのサイズの大きさになるのだ。
 ぼくは、頭を振って考え直す。手のひらに収まるくらいが彼女にはお似合いだ。Bでいいよ。本物の中山美穂がBかどうかは知らないけれど、ぼくとしては、Bで充分だ。
 くびれたウエスト。形のいい腰つき。美しいの一言に尽きる。ぼくはじっと眺める。
 「恥ずかしいわ」
 「綺麗だよ」
 「抱いてくださらないの?」
 「いいの?」
 「勿論よ。わたしたち、結婚するんですもの」
 いいねえ。夢の中だけでも、彼女と結婚してみたい。ぼくは彼女をベッドの上に押し倒した。最高の気分。彼女を愛撫する。『あんあんあん』と可愛い声を上げてぼくの愛撫に応えてくれる。
 さあ、フィニッシュだ。ぼくのいきり立った一物を彼女の秘部にあてて、合体!・・・・。

 ジリジリジリ。ジリジリジリ。ジリジリジリ。
 くそ! いいところで! ぼくは、目を開けて時計のベルを停めた。中山美穂はぼくの目の前から消え、ぼくはひとりぼっちで、寒々とした自分の部屋で寝ていた。
 もう10分。いや、もう5分時計が喚くのが遅ければ・・・・。ぼくは、目覚まし時計を恨めしげに眺めた。

 夢と言うのは、どうしていつもいいところで妨害されてしまうのだろうか? ぼくが考えるに、目覚し時計をセットするときに、体内時計もセットされて、目覚ましがなるときにあわせて夢を見るようになっているのではないだろうか? きっとそうだ。そうでなければ、ぼくは、彼女と、中山美穂とやれていた。
 ぼくの理想の女性として思い描く中山美穂。そんな女性とやってはいけないと言う潜在意識が、最後の一線を超えることを許してくれないのだろう。

 時計の針は、午前9時を刺していた。頬を抓ってみた。痛い。今日は見合いの日だ。行かなければならない。夢の中のように、中山美穂ってことは絶対ないだろうけど、社長がいみじくも言ったように、あの写真じゃ、美人は期待薄だなと思う。

 頭はぐしゃぐしゃ。汗びっしょり。ぼくは、朝風呂に入ることにした。
 湯船にお湯をためている間、インスタントコーヒーを作って飲む。もう5分遅かったらなあと、思い出してはがっかりする。いや例え5分遅くセットしても、ぼくの理論によれば、必ずいいところで目覚ましが鳴るのだ。過ぎたことをあれこれ考えても仕方がない。諦めるしかない。

 湯船に浸かって体の汗を流し、頭をシャンプーで洗って、リンスした。鏡に映った顔は、40近いとは思えないほどの輝きがあると思う。相手の女性も、そう思ってくれるだろうか? 伸びたひげを丁寧に剃って、もう一度湯船に浸かってバスルームを出た。
 新しい下着、洗濯から帰ってきたばかりのYシャツを着込み、一番値段が高かったスーツを着て、ネクタイをした。
 鏡に映るぼくは、絶対35以上には見えない。ぼくはナルシストか? そうに違いない。

 時計を見ると、はや10時半だ。城山ホテルまで、30分は掛からないだろう。まだ出るのは早いなと思い、テレビを付けて、ぼんやり見る。テレビを見ながら、時間が気になって、何度も腕時計を見た。
 午前11時。そろそろ出かけることにする。部屋の鍵を閉めて、裏の駐車場に行き、車のドアを開けようとして、社長に言われていたことを思い出した。
 「アルコールが入るから、タクシーか電車で来いよ」
 そうだった。電車で行ってたら、間に合わない。慌ててタクシー会社に電話した。
 「はいはい、内山アパートの倉田さんですね。すぐに行かせます」
 そう言ったのに、タクシーはなかなか来なかった。

 午前11時34分。ようやくタクシーがやってきた。
 「すみません遅くなって、ここは初めてなもので」
 タクシーの運転手の言い訳に機先を制されて、文句を言う気力が萎えてしまう。
 「城山ホテルまでお願いします。正午に約束があるんですけど、間に合いますかね?」
 「大丈夫ですよ」
 通りに出るや、タクシーはびんびん飛ばす。土曜で車が少ないからいいものを、普段だったら、事故を起こしかねないスピードだ。ぼくはシートに深く腰掛けて、ドアのノブを握りしめていた。
 タクシ−の運ちゃんが飛ばしてくれたお陰で、正午10分前にホテルに着いた。
 「ありがとう。助かったよ」
 300円ほどお釣りがあったはずだが、受け取らなかった。急いでもらったお礼だ。運転手は、にやりと笑って、片手をあげて走り去っていった。

 10分前に着いたのに、エレベーターがなかなかやってこない。やっと来たかと思ったら、宿泊客らしい一団が乗り込んできた。そいつらが、次々と違う階のボタンを押す。間に合わなくなるーーーー。どうしてこんな時間に客室へ行くんだよ!
 ラウンジのある階に着いたとき、正午の時報が鳴った。エレベーターを出ると、腕時計を見ながら、エレベーターホールにやってきた社長と出くわした。
 「社長、遅くなりました」
 「来ないのかと思ったぞ。先方がお待ちかねだ。急いでくれ」
 ぼくは社長に早足でついて行った。

 窓際のテーブルに三人の人物が座っていた。真ん中の振り袖姿の女性が、ぼくの見合い相手だろう。
 「遅くなって申し訳ありません。タクシーがなかなか来なくて」
 「言い訳はいいよ。早くそこへ座りなさい」
 ぼくは、相手の女性の向かい側に腰を下ろした。彼女は、俯き加減で、顔がよく見えない。まあ、夢の中のような美人ではないのは明らかだが・・・・。
 「倉田崇さんです」
 「倉田です。よろしく」
 「森田信子さんです」
 「・・・・森田です」
 可愛らしい声だ。声だけだったら、すぐにでも恋に落ちそうな、そんな女性らしいいい声をしている。
 しかし、顔を見てがっくり来た。見合い写真とは似ても似つかないのだ。これがあの写真の女性なのか? 写真の中の彼女も、決して美人ではなかったけれど、実物はもっとひどい。夢の中とは違って、社長や社長婦人に聞くわけにもいかなかった。
 最近の写真屋の技術には恐れ入る。こんな具合だったら、ゴリラだって、美人に化けさせられる。実際、目の前の彼女は、芦屋雁ノ助を女にしたような感じだった。
 「お仕事は?」
 「ご趣味は?」
 「ご家族は?」
 ありきたりの質問が行き交う。彼女は、29歳の看護婦。30になる前に結婚したいと、見合いを頼んだようだ。見合いでなければ、相手は見つかりそうもないなと心の中で思った。
 ぼくの収入を聞いて、ちょっとがっくりしたような顔をした。聞いてみると、彼女の方が収入が多いのだ。この時点で、この話しはなかったことになりそうだなと思った。
 ふたりっ切りにされてしまったけれど、話すことがなかった。ただぶらぶらと一緒に散歩しただけだった。

 見合いをしてから三日後、社長に呼ばれた。
 「この前の話しの件だが・・・・」
 「断ってきたんでしょう?」
 「彼女の収入があんなに多いんじゃあねえ」
 「社長があげてくれれば良かったんじゃないですか?」
 社長は肩をすくめた。
 「いい話しがあったら、また持ってくるよ」
 「・・・・分かりました」
 こちらから断ってやれば良かったと、後悔した。おまえみたいなブスは、逆玉でも誰ももらわないよと言って。