『季刊 新そば』No.108より

「豊後そば」を売り出せ

平松守彦(大分県知事)


 私は九州の大分県生まれ。九州はもともとそば派よりも、うどん派が多い。

 大分で育った私がそばファンになったのは、東京の通産省に勤めるようになってか
らだ。上司に誘われて、昼休みに「赤坂更科」に行った。精製されたそばで、細く、長
く、品がある。御前そばに近い。厚い卵焼きや焼き鳥を肴に一杯やったあと、天ざ
る。これがまたうまい。ただし、箸で二、三回すくえば無くなる。二、三杯は軽くい
ただく。

 短時間で食べられることもあって、そば通いが繁くなった。若い頃は何杯食べても
腹一杯にはならない。しかも、安月給では値段が張る。懐具合を考えながら、メ
ニューと枚数を選んだものだ。

 私は、昭和五十年に大分に戻り、五十四年から知事を務めている。陳情のために上
京する機会も多く、霞ヶ関には必ず出かける。いまでも合い間をみて、この店に駆け
込む。混雑している時が多く、このときはじっと並ぶ。

 そばに舌つづみを打つ満足さと、通産省時代の知人に出会う喜び。ときには、近く
のきれいどころの女将さんの昼姿に出会う楽しみがある。赤坂情緒も味わえ、一挙両
得だ。

 今では一週間に一度はそばを食べる。嬉しいことに、うどん派の大分にもそば屋さ
んが増えたし、過疎地域では、特産のそばを活かした「交流拠点施設」も次々と生ま
れてきた。

 私は知事になって、県民が自分の地域に誇りを持ってもらおうと、一村一品運動を
提唱し、二十年が経った。この間、焼酎や関アジ、関サバ、カボス、椎茸といった全
国に有名な産品が続々生まれてきた。それらが新しい大分の気風、大分しかない文化
を創造してきた。

 たとえば、大分県南部にある本匠(ほんじょう)村。人口二千人あまり、山あいの小
さな村で、国の天然記念物・小半(おながら)鍾乳洞で有名だ。この近くに小半森林公
園があり、キャンプ場や散策コースが整備されている。

 目を魅くのが日本一の巨大水車である。直径18メートル、重さ23トン、平成五年に
つくられた。村では、水車の力を利用してそばを挽く。水車小屋では、挽きたてのそ
ばを味わえる。隣接の「夢工房匠の里」では、訪れた観光客がそばを打つこともでき
る。この二月に大分県が進めている「里の駅」に指定。県内では49か所になった。

 県北では、本耶馬溪町の「耶馬(やぱ)トピア」。菊池寛の小説『恩讐の彼方に』の舞
台となった「青の洞門」のすぐ近く、同じ平成五年に地域おこしの拠点としてオープン
した。建設省の「道の駅」にも指定されている。ここに、そばを自分で打つことができ
る「そば体験道場」やそばを味わえる「トピア茶屋」がある。

 耶馬溪地域は古くからそばを栽培している。都市に住む人に呼びかけ、そばの収穫
を体験させたり、刈り取ったそばを打つことも可能だ。「トピア茶屋」では、「山かけ
そば」がうまい。麺はそば粉に山芋と少量の小麦粉を入れて打つ。このそばに、トロ
ロがたっぷりかけてある。あっさりした味だが、栄養たっぷり。元気もりもりだ。

 仏の里・国東半島の中央部、大田村には横岳ふるさと茶屋「夢のぼり」がある。村が
公募して選ばれたおばちゃん6人が運営している。平成十年六月にオープンし、昨年
七月からそば打ちが楽しめるようになった。農産物も販売しており、山芋を買い込み
トロロにしてもよいし、山菜をきざんで山菜そばにしてもよい。好みによって自分で
メニューを作れる楽しさがある。

 東京のそばとは異なり、自分で作れば、太くも細くも、短くも長くもなる。つるつ
ると、喉で味わうことにならないかも知れない。しかし、「自分で作ったんだ」という
からには、味わいはひとしおだ。

 大分の新しい一村一品は、自分で作る「豊後そば」。

 自分しかない「そばの文化」がこれから花開くに違いない。