毎日新聞 (2002年5月20日 掲載)

「学校と私」  
大分県知事 平松守彦


   大学の卒業こそ戦後でしたが、戦前の教育を受けて育ったと言っていいと思います。大分の地元の小学校に通っている時は虚弱児で、よく学校を休んでいました。
 「あんたは体が弱いから、学校の成績よりも、学校を一日も休まないようにしなさい」というのが母の口ぐせでした。中学校では剣道部に入って鍛えました。頑張るぞと思って5年間、一日も休まずに学校へ行き、皆勤賞をもらいました。母は中2の時に伝染病で亡くなりましたが、墓前に報告できました。
 剣道部は厳しかったですよ。朝6時ごろ起きて冷えたご飯にお湯をかけて食べて、寒稽古に行きました。部活で健康になり、「社会力」を身につけられたと思います。「社会力」というのは、生きていくうえで守らなければならない最低限のルール、自分を律する力といったようなもので、学校の先生がロで言って分かるものではありません。
 スポーツに限らず、自発的な集団訓練は後に役立ちます。そういう経験があったので、知事になってすぐに小学校5、6年生400人が4泊5日で沖縄へ行く「少年の船」を始めました。子供たちの「社会力」を養うためです。
 私と中高校生のリーダーは乗船しますが、親や教師は乗せません。朝早く起きて、遅れないようにご飯を食べるところから始まります。小学生が船酔いで倒れたリーダーを介護する光景も見られました。親元を離れた5日間の集団生活の中で、規律を意識するようになります。
 家業は帽子の製造卸業で、父は教師を辞めて跡を継ぎました。自分の子供の教育には口を出しませんでしたが、教育をやりたかったのでしょう。私が生まれた年にポケットマネーで私立の夜間中学校を作りました。入学時は120人で卒業の時は30人くらい。「3年間、昼間は働いて夜に勉強して社会に出れば、必ず立派になれる。継続は力」と常に言っていました。
 私も一村一品運動では、「継続は力」と訴え続けました。補助金を一切出さず、首長さんたちに自己責任を求めたのがよかったと思います。