著書『「日本合州国」への道―こうしたら「分権」は実現する』 (東洋経済新報社・1995年1月初版)から
私の道州制論  
大分県知事 平松守彦

 
 

 
 わが九州府構想−「分権」は階段を登れ





◎戦略的分権諭のすすめ
 
 前節で見たように、分権化社会の政治システムとして、道州制や連邦制などいろいろな案が提案されている。だが重要なのは、そこに至るまでのプロセスである。いくら理想的な制度を唱えても、現実にことが進まなければ意味はない。  
 これまで臨調・行革審や地方制度調査会がいく度となく答申を出しても、なぜ地方分権がすすまなかったかというと、それは理想論や「…すべし」というベキ論に終始して、現実的・戦略的な方法論がなかったからだ。道州制や連邦制を例にとってみても、現在の府県制・市町村制からどうやって道州制に移行させるかということになると、はっきりした方法が示されているとはいえない。  
 私は、地方分権は戦略的に行うべきだと考えている。私の戦略的分権論はこうだ。  
 まず国の出先機関である通産局、財務局、地方建設局、農政局、運輸局などを束ねて、九州であれば「九州府」をつくり、トップには公選の「九州府長官」を置く。そして中央官庁の権限をまずそこに移譲し、国家予算もブロック別に分けて、九州にかかわるものは九州府におろす。そして九州府長官と各県知事が協議しながら、九州における予算配分を決め、道路や下水道、あるいは水利権や産業廃棄物の問題など、県を超えた広域的な問題を調整していく。  
 さらに、九州府をデモクラティックコントロールするために、ヨーロッパのEC議会にならって、各県の婦人代表、教育界や経済界の代表、市町村や議会の代表など、人口比に従って各県から5〜10名の代表で構成する「九州議会」を設置する。   
 私も通産省にいたのでよくわかるのだが、霞が関の権限を例えば九州通産局や九州地方建設局などの出先に移すことは、いわば身内だからできる。いきなり都道府県によこせというのとは違う。まず出先に移せるものは全部移していく。そしてその出先をまとめる。こうすれば中央官僚の抵抗も少ないし、機構的にも長官が1人増えるだけで、二重構造にはならない。  
 私の九州府構想はいわばEC型の制度である。ECでは各国が独立国として主権を持ちながら、共通の問題はブラッセルのEC本部で協議し、EC委員会がその諮問にあずかる。そしてそれをコントロールする機関としてEC議会がある。  
 私は昭和63年にEC委員会に招かれ、大分EC使節団の名誉団長としてEC議会を訪問し、ECの仕組みを勉強してきた。  
 ECの機構には、ローマ条約やパリ条約などの諸条約を実施するEC委員会、ECの政策を決定するEC閣僚理事会、そしてEC委員会やEC閣僚理事会から重要な事項について諮問を受けるEC議会がある。EC議会はEC各国の議会の上にある議会で、各国から直接選挙で選ばれた518名の議員で構成される。主な権能はECの予算を審議することだが、EC委員会を解散させることもできる。


◎九州府構想は全国に通ずる  
 私の九州府構想は、九州なら九州府としてスタートさせるのを、わかりやすく例えて九州府構想と名付けたもので、もちろん九州だけを念頭においているのではない。また全国一律に行う必要もない。できるところから順次つくっていく。九州の中で合意ができれば 九州府から始め、東北であれば東北府、中国地方であれば中国府というように順次拡大していけばよい。  
 それじゃ北海道はどうなんだ。もうすでに道州制じゃないか。北海道はうまくいっているのかと、こういう議論もある。北海道には北海道開発庁という役所がもう1つあって、それ以外に財務局、通産局、運輸局などがあるので、今の北海道は三重構造になっている。これは例にならない。北海道開発庁がなくなり、国の出先機関が統合され、北海道知事に全部権限が移るということになれぱ、これは1つの道州制といえるだろう。  
 九州府ができれば東京に行かなくても、九州のことは九州で解決できるようになる。そしてその後、第二段階として、その九州府の権限を県に移し、県の権限を市町村に移して、だんだん九州府の権限をなくして県と市町村とで独立の分権システムにするのか、あるいは九州府の権限を残して、そこに知事の権限を入れる形で道州制にするのか、それは選択肢になる。  
 つまり1つは九州府に中央から権限を委譲し、さらにその権限を各県に、ついで各市町村へと分権していくもの。もう1つは九州府を中心に広域行政を行いながら、すべての県をなくし、最終的には市町村へ権限委譲する、文字どおりの道州制だ。そしてこのどちら を選択するかは、住民の判断にまかせる。  
 現在、行革審の答申などでは、都道府県連合という一部事務組合的な連合制度が取り上げられているけれども、そういう生半可な形では地方分権を進める受け皿にはならない。やはり、九州府のような、そのブロック全体のことを考えられる仕組みが必要だ。  
 そしてそこに中央官庁の権限を移譲し、中央政府は国防、外交、通貨管理を主たる任務として軽くて小さな政府になり、住民に身近な問題はすべて地方政府が自主的に決定できるゆるやかな連邦制国家(United States of Japan=「日本合州国」)をつくる。これが私の考える究極的な地方分権の姿である。  
 この構想は第3次臨調答申の際、当時の会長代理瀬島竜三氏と私との間で議論し、答申に盛り込もうということになった。
 ただ、瀬島氏の案は、現在の各省の地方支分部局をそのままに統合するのではタテ割り行政の弊が是正されないので、一旦解体し、九州府として職員を採用し、各省の出先の身分を解消するというドラスティックなものであった。  
 たしかに理想論としていえぱそのとおりであるが、それでは各省庁が抵抗するだろうから、各省庁の出先機関をそのままにして統合一体化し、新長官の下で行政事務を進め、その過程で実態的にタテ割り行政の弊をなくし、将来は機構上も身分上も中央から独立した行政機関にしていくことが現実的だと申し上げたが、瀬島氏は独立権限をもった省庁としての地方府制度を提唱され、この案はついに日の目をみることができなかった。しかし、道州制へのステップとしてこの構想は現実的な提案であると考える。


◎九州は1つ  
 しばらく前のことだが、鹿児島新幹線が整備計画路線に入り、その着工順位を早めよということで、福岡で決起集会が開かれたことがあった。大分県はこの新幹線には直接関係はない。それまでだと「わが県は知らぬ」と見て見ぬふり。利害のある県だけがバラバラに活動し、「うちの県だけは何とかぜひ」と国にいってきた。しかし「九州は1つ」という観点から、大分県は積極的にこの大会に参加した。九州が一丸となって大運動を起こすことは画期的なことだ。そうした気運があれば、例えば大分・宮崎を通る東九州自動車道の早期実現を九州全県が応援してくれる。 
 同じ九州といっても、実は西側と東側とではかなり利害が違う。「九州は1つ」ではなくて、「九州はひとつひとつ」という人もいる。しかしそれは本来、まとまりが悪いので はなくて、個性があるということ。阿蘇もあれば桜島もあり、また薩摩や長崎などそれぞれの地域に歴史があり、文化があり、特産品がある。そうした個性をお互いに発揮しながら、夜空の星座のように調和した体系になっていけばと思う。  
 もし九州が1つの独立した道州となると、九州はアジア経済圏の中で中心となることもできる。九州が1つの地域国家となり、九州とアジア諸国との間で産業と文化の交流をやっていけばアジア経済圏の中で九州の自立は可能だ(この点に関しては、第4章で詳しく述べることにしよう)。  
 今大分県では、地方分権は「隗(かい)より始めよ」ということで、県庁内に地方分権チームをつくり、県庁が持っている権限で市町村に委譲できるものを洗い出している。地方自治とは教育だ。市町村にも勉強してもらう。  
 現在のところ、屋外広告に関する事務や漁港の管理事務、有害鳥獣駆除目的の鳥獣捕獲許可事務、育成医療の給付事務、商工会や商店街振興組合の設立許可事務などは、現実的に市町村へ委譲する事務として早急に検討したいと思っている。
 
同時に、権限の委譲と並行して、県の予算を市町村に配分しないと事業執行ができないので、予算配分を進めるなど、分権の受け皿づくりを進めないと、市町村に今のままで権 限を移すといっても限界がある。都道府県においても国から全部権限をもらっても、今できるかどうか。予算はもちろんだが、行政能力や人材の問題もある。  
 しかしそう言っていると福沢諭吉がいうように、いつまでたっても地方政府はだめだから権限を出さないという議論になる。だから、地方分権を議論しながら、一方では地方都市や市町村をどうやって強くしていくか、財政基盤を確立して地方都市に若者が定住し、そして地方自治体にもいい人材が揃うためにはどうやったらいいのかということを、並行して考えていかなくてはならない。  
 次章からは、そうした分権の受け皿づくりについて考えていくことにしたい。