日本経済新聞 1998年1月21日版より

井深さんの約束

平松守彦



交遊抄

 井深さんとの出会いは昭和三十四年、私が通産省電子工業課課長補佐のころだ。トラ ンジスタラジオなど夢の商品を世に送り出した技術革新の寵児(ちょうじ)「ソニー」 の社長として、痩身長駆(そうしんちょうく)の姿をよく私の部屋に現した。  当時私は、世界の巨人IBMに対抗できる国産コンピュータ育成に心を砕いていた。井 深さんは徹底した自由化論者で、「自動車とコンピュータはユーザーサイドに立って自 由化すべきだ」と主張。私は「国産化なくして日本のエレクトロニクス産業の明日はな い」と反論し激論を交わした。  ズケズケと国の政策を批判する毒舌家であったが、半面人情に厚く、とことん人の面 倒を見る勇み肌のところもあった。二十八年前、電子政策課長時代に先妻を失った時、 わざわざ教会の出口に立ち、私に代わり参列者に黙礼していただいた友情は忘れない。  時は流れて、昭和五十四年郷里大分県の知事になり、今度は別府市にある身体障害者 福祉工場「太陽の家」の会長としてお目にかかった。障害者にも健常者と同じ職場を、 という創始者、故・中村裕博士の主張に共鳴され、ウォークマンの部品を組み立てる 「ソニー太陽」をこの家に開設。理事であった故・本田宗一郎さんや秋山ちえ子、水上 勉さんともどもよく来県され、自立精神による障害者福祉についてご教示を受けた。  大の甘党で、ご夫妻と大分で食事をともにした。「今度、東京で天丼をごちそうしま す」と約束されたが、ついに実現しなかった。井深さん、あなたの天丼はどの店だった のでしょうか。

(ひらまつ・もりひこ=大分県知事)