第34話
新地域主義の提唱(下)
―平和を守る住民交流―



 経済のグローバル化が進めば進むほど、同時テロ事件のような「文明の衝突」(ハンチントン)も起こる。
 私は、国家間外交と並んで、地域住民が国境を越えて、文化・スポーツ・地域活性化のノウハウの交流を進めることが相互理解を深め、国家間利害の衝突を回避し、平和的解決にも役立つと説き、これまで実行してきた。
 このところ、日韓両国間には教科書、靖国神社参拝、竹島など外交上厳しい問題が山積している。「こういう時こそ、地域住民の交流が大切ではないか」と、大分の「一村一品」運動リーダーと交流している姜奎(カン・ムンギュ)セマウル運動中央協議会長はいう。そのとおりだ。
 今年は日韓共催W杯サッカーの年。世界から延べ300万人の観客がサッカーを通じてふれあいの場を持つことは、国際緊張の緩和に役立つに違いない。


国境を越えW杯会場の大分市「ビッグアイ」に集まった日韓の子供たち
(1月4日、九州少年サッカーフェスティバルで)


〈「地域」が中心に〉

  IT革命の進展でボーダレス経済社会となりつつある。国境というカーテンが取り払われても、地域は残る。我々は「地域」を見直す時期に来ている。我が国はどうか。
 徳川幕藩体制下では、藩ごとに城下町があり、藩校や殖産振興の成果としての特産品、独自文化が形成された。江戸は各地域と並列する文化の中心地に過ぎなかった。しかし明治新政府が成立すると、「廃藩置県」つまり各藩は中央政府の下部組織としての都道府県に再編成された。
 この中央集権型政治構造が、戦前・戦後を通して変わっていないことにもっと留意すべきだ。この結果、東京への文化、人口、政治、経済の一極集中が進み続け、地域は衰退の一途を辿っている。
 「住めば都」という言葉がある。我々地域住民の住んでいる地域が中心で「都」なのだ。独自の文化をもち、自主自立の精神で地域づくりを行う。これが21世紀日本の地方分権社会のあるべき原型だ。


〈トクヴィルの見聞録〉

 「ニューイングランドに上陸した人々は、直ちに直接参加型民主主義の原則を確立し、すべての人々が集まって討議するようになりました。これがタウン・ミーティングの起源です」「マサチューセッツ州は小さな共和体である町(タウン)の連合です」
 これは、1831年から9か月、建国間もないアメリカを観察したフランスの若き法律家アレクシ・ド・トクヴィル(1805−1859年)の見聞録(阿川尚之『トクヴィルとアメリカへ』から)の一節だ。
 1995年、「地方分権推進法」が成立。権限の地方移譲はかなり進んだが、財源の移譲(「分財」)は進まず、3割自治のままである。地方自治体の予算は国からの交付税、補助金で賄われており、ますます中央依存が強まっている。
 思い切って現在の47都道府県を8つに再編分割し、首都圏と並列したブロック地域とし、各ブロックが自主財源を持って地域づくりをするよう改めてはどうか。USAならぬ「United Regions Of Japan」(地域連合国家)に変革すべきだ。
 「アメリカには偉大な首都がない。首府がその影響を直接、間接に広大な国土隅々までに及ぼすことはない」「アメリカ人は大部分の領域で弱い連邦を望む。戦争の時には、国の軍隊のもとに結集し、国力のすべてを注ぎ込む。しかし、平時には連邦政府は姿を消す」(トクヴィル)
 アメリカの場合は「始めに州ありき」である。後に州から委託された権限を実施する機関として連邦政府が出来た。日本は、始めに中央政府が出来、下部組織として府県が設けられた。これからの日本は、アメリカの歴史を逆流する形で変革せねばならぬ。
 ミネルバの梟(フクロウ)は日暮れて飛び立つ−。近代ヨーロッパ世界が没落する時、初めて新世界の到来を予告する新しい哲学が生まれる。戦後日本の経済成長を支えてきた政治、経済、社会の枠組みがすべて機能を失い、新日本への道は暗闇に閉ざされている。今こそ、知の神ミネルバの如き叡智を持って、ローカルにしてグローバルな文化に支えられた「新地域」国家像を描き、その実現に向け革命的行動を起こさなければならない。
 トクヴィルの序文一節を引用して筆を置きたい。
 「アメリカが自らのため構築した諸制度をただ無批判に模倣するため、アメリカへ関心を向けるのはやめよう。我々自身に適合する制度は何かをよりよく理解するため、アメリカに学ぼう。教訓を学ぶために、見よう」

(大分県知事 平松守彦)


読売新聞2月22日号より



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