第33話
新地域主義の提唱(上)
―アイデンティティーの確立を―



  〈ローカルとグローバル〉

 「ローカル」というと、〈ローカル色豊かな〉という表現もあるように、地方独特の文化や伝統、例えば、その土地ならではの料理、民謡を連想する。全国版の流行歌、ファッションなどと対比されて用いられることが多い。
 一方「グローバル」といえば、カネの情報が世界を駆けめぐる「経済のグローバル化」という具合に用いられる。「ローカル」と「グローバル」はこのように対置して考えられやすい。果たしてそうだろうか。
 私は、むしろその逆で、ローカルこそグローバルだと思っている。ローカルであればあるほどグローバルにも評価される。ローカルとグローバルは相反するものでなく、「反観合一」つまり相反しながらも総合(止揚)される観念ではないか。
 例えば、音楽の世界でいえば、アルゼンチンタンゴは、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス近郊の港町に流れついたアフリカ系移民たちの土着音楽が芸術的にリファインされて、世界中に流行し、グローバルミュージックになった。
 日本の国技といわれる柔道が〈JUDO〉として全世界に普及し、オリンピックの競技種目となった。この現象は、まさにローカルなものこそグローバルなものになり得るといえるのではないか。ただ、ローカル即グローバルではない。ローカル文化の知的価値を高めてこそ、初めてグローバルにも通用するものとなるのだ。
 どうしてこのような関係が成り立つのか。
 日本文化の原型というものを考えて見ると、日本の記紀神話(古事記と日本書紀)には個別の説話で、日本特有のものはほとんどないといわれる。天孫降臨神話も、北方アルタイ系神話と共通し、仙人が住んでいるといわれる西方の「蓬莱の国」は、中国の道教の影響を受けた神仙思想に由来する。(丸山眞男『日本文化のかくれた形』)
 私は正月、大分県北部にある宇佐神宮に参拝する。全国八幡宮の総本山に祀られる八幡大神の「八幡」という言葉は7世紀前半、唐の太宗時代から用いられている中国語だし、宇佐神宮の神木「楠」も、神体の薦(まこも)も何れも中国南方地域の特産物だ。


中世のムラの雰囲気が漂う田染荘
中国文化とも関係が深い宇佐神宮

  「古(イニシヘ)吾レハ震旦(シンタン)国=中国=ノ霊(レイ)神ナリシガ、今ハ日域=日本国=鎮守ノ大神ナルゾ」(『八幡宇佐宮御託宣集』)。宇佐神宮と中国文化との関係をハッキリと示したものだ。(福永光司『古代日本と中国文化』)
 まえに述べた柔道も、起源は日本古来の徒手格闘である「力くらべ」、「相撲」に求められるが、明治期に嘉納治五郎によって柔術から「柔道」という競技となった。一方、モンゴルの「ブフ」、中国の「シュアイ・ジャオ」、韓国の「シルム」などの格闘技もあり、柔道が国際的スポーツになる素地があった。
 日本文化の源流をたどれば、ほとんどが外国との文化接触の中から形成されたものであることが分かる。このことは、我々が日本固有(ローカルな)文化と思っているものの中にグローバル化される契機を内包しているといってよいのではないか。


〈グローバル化の波〉

  一方、グローバリゼーションが進むと、同時並行的にローカリゼーション(地域化)も進む。 わかりやすいように具体例を経済に求めてみよう。
 1997年、米国金融資本がアジア市場を撹乱し、韓国、タイ、マレーシア、インドネシアが深刻な通貨危機に陥ったことは記憶に新しい。
 「現在のグローバル化は、資本の自由な移動だけを強調している。私はグローバル化に反対している訳ではない。資本の自由な移動だけに目を向けがちな風潮を非難しているのだ」。昨年末、クアラルンプールのプトラジャヤ首相府で対談した際のマハティール首相の言葉だ。
 1月1日、ヨーロッパ12ケ国(EU参加国)の共通通貨「ユーロ」が流通しはじめた。2.5億人の「ドル」のグローバル化に対抗して自国通貨を防衛するために3億人の「ユーロ」通貨を基軸するヨーロッパ連合が立ち上がった、とも読める。
 このように世界市場のグローバル化が進めば進むほど、EU・ユーロの発足や、東南アジア各国プラス3(日・韓・中)といった新地域連合の動きが姿を現しだすのだ。
 ただ、ドル、ユーロといっても所詮は数字のうえでの一体化、統一にすぎない。
 大小を問わず真に共同体を構成するには、住民の心の絆(きずな)−アイデンティティ−をどこに求めるかが欠かせない。これは限りなく文化の問題である。

(大分県知事 平松守彦)


読売新聞1月25日号より



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