第28話
龍渓の思想と行動
−普遍人(ゼネラリスト)が求められる時代−




〈龍渓とは何者ぞ〉

 暑い夏。8月15日になると5年前のこの日、死去された丸山眞男先生のことが思い出される。
 戦後、大学で先生の「東洋政治思想史」を受講し、1946年発表された「超国家主義の論理と心理」を読んだ時は、目からウロコの落ちる思いだった。1987年、三浦梅園(安岐町)、福沢諭吉(中津市)の旧居訪問のため来県。それが機となり、県刊行「大分県先哲叢書」編さん審議会特別顧問に就任いただき、明治時代の異才矢野龍渓(1850−1931年)を叢書に加えることをすすめられ、自ら「序文」を書くと約束された。
 「矢野龍渓とはそも何者なのか」に始まる序文を掲載した「先哲叢書矢野龍渓・資料集第一巻」を携えて、入院加療中の先生のもとへ参上したのは、亡くなる半月前の7月末だった。私はそれまで、龍渓について知ることはなかった。恐らく多くの県民も「龍渓とは何者」というのが偽りのないところであろう。

 

〈龍渓と福沢諭吉〉

駐清公使時代の矢野龍渓
 矢野文雄。龍渓は号である。佐伯市に生まれ、中津市で青年時代を過ごした福沢諭吉創立の慶応義塾に入学。福沢の秘蔵っ子として同塾教師となる。その後の彼の活動は「政治家の如く、文学者の如く、哲学者の如く、志士の如く、隠者の如く、苦労人の如く、人をしてその所属を定むるに迷はしむる」(「龍渓矢野文雄君伝」)ほど多彩だ。
 29歳で、大蔵卿大隈重信側近として大蔵書記官となり、憲法制定、国会開設気運の高まりの中で、自ら議院内閣制を盛り込んだ憲法草案を起草、早期国会開設意見書を大隈の依頼で執筆した。後に下野した大隈と共に立憲改進党結成に参画。だが、国会開設と同時に41歳の若さで政界を引退。「世は龍渓を捨てざるに、龍渓は世を捨てたり」と評された。
「経国美談」の前編(左)と後編
 1890年(明治23年)、国会開院式の折は宮内省官吏として参列。後に清国駐在公使として北京に赴き、日清戦争の講和条約の立役者李鴻章と親交を結んだ。 また、「郵便報知新聞」の記者、社長、晩年は「大阪毎日」副社長となり、言論人として活躍、更に小説家としてグローバルな視点で古代ギリシャを舞台の政治小説「経国美談」や海洋冒険談「浮城物語」はベストセラーとなった。彼の真骨頂は自由民権、近代デモクラシー思想を国民に説く啓蒙思想家にあった。
 「良憲法をさへ設けなば何れの国も皆な同様に治まるべく思ひ居たりしが、憲法の外に尚ほ一種大切の者あるに心付きたり」それは「家に於ける一家の気風、国に於ける一国の気風」だ。「世界中にて立憲制度の最も都合好く甘く行はるゝ国は第一は本家なる英国、其次は米国、濠州、亜非利加、加拿太(カナダ)等なる英国の植民地の諸政府。何れも皆な同一様の気風ある英索人種(アングロサクソン)の建てたる国々なり」(1888年「日本人が最も不注意なる政亊上の要訣」)
 後年、福沢は「文明論之概略」の中で「ある人は文明の外形のみを論じ文明の精神をば捨てて問わざるものの如し、精神とは何ぞや、人民の気風なり」と述べているが、まさに国民の意識革命を説く点で軌を一にしている。丸山先生最後の著書「『文明論之概略』を読む」も同じ論調で、龍渓−福沢−丸山ともに啓蒙学者として同一思想的系譜であるように思える。
 

〈普遍人の今日的意義〉

 龍渓の思想と行動は、文学、政治、教育どのカテゴリーにも属さないルネサンス的人間類型として「普遍人」と名付くべき人物(丸山序文)であり、裏返せば1つ1つの分野では超一流の地位は保持出来ず「何でも屋」というレッテルが貼られることになる。そのことが彼の名が歴史の流れに埋もれて「何者か」になってしまったのではないか。
 だが、今日のように知識人の専門分野が「タコつぼ」化し、政治、経済、金融、教育、何れもコマ切れ的スペシャリスト集団で論じられている状況を見る時、龍渓の如きマルチ人間は最も魅力ある存在に見える。
 知事という職業柄痛感することは、自治体の首長の資質は経済、教育、福祉といった専門分野に特化するのではなく、各分野に関心と知識を有する「普遍人」であることが望ましい。一企業のトップ、種々の大きな組織の責任者においても事は同様であろう。龍渓の今日的意義を再確認すべきと思う。

 

〈郷里を愛した龍渓〉

 最後に、彼はふるさと佐伯をこよなく愛し、龍渓の号も番匠(ばんしょう)川流域の「流清冽/神の家する所」からとった。国木田独歩を郷里の学校の教師として東京から呼んだのも彼である。
 1919年(大正8)当時の佐伯町長より港湾を利用して軍港誘致の相談をうけた時、彼は「世界は永く戦禍を絶ち将来世界の大平和を致すべき気運」が熟した。国際連盟も成立、軍備縮小の時代になる。むしろ「郷里の沿海の地を利用して魚族の養殖場を大規模に企つるも一案」と手紙で提言している。
 今日県南地域はマリノポリス構想の一環としてタイ、アワビ、カレイの人工養殖場の造成がすすんでいる。スペシャリストならぬゼネラリストならではの卓見で「グローバルな視点でローカルな地域づくり」に先見の明があったというべきだろう。


(大分県知事 平松守彦)


読売新聞8月17日号より






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