第21話 
アジアの世紀とW杯
-サッカーは地域を結ぶ-





 21世紀が開けた。今世紀はアジアの時代。それを象徴するかのように2002年には日韓共催FIFA(国際サッカー連盟)W杯サッカー大会が開催される。
 1930年、ウルグアイで始まったこの大会は、4年おきにこれまで16回開かれている。98年フランス大会では参加196か国・地域、出場32か国・地域、観客数400万人、テレビ観戦者は360億人にのぼった。一スポーツ大会でオリンピックを上回って動員できるのはW杯をおいてない。
 サッカーは1863年イングランドで生まれた「最もシンプルなゲーム」とされる。今や10億人のファンと2億人のプレーヤーがいる。「世界共通言語」とまで言われるるようになったのはなぜか。
 コストのかからぬ大衆性に、試合の流れが止まらず、知力(ソフト)・体力(ハード)・スピード三位一体のゲーム運びが、映像・情報社会の大衆心理を捕らえてはなさぬからであろう。

異例の共同開催
 大会開催地は、過去16回のうち欧州9か国、中南米6か国、それにアメリカ。アジアでは初めてで、しかも「一つの国内ですべての試合を」という規約を改め、日韓2国、20都市でという異例の事態となった。
 日本単独開催を主張しつづけた日本サッカー協会、九州唯一の開催地として手をあげていた大分県にとって、この予想外の決定に戸惑いがあった。だが、大分は決定を前向きにとらえ、積極的に受け入れようと共催決定の翌日、95年6月1日、大分市の中心街で祝賀イベントを催した。
  21世紀は人口増加率、経済成長率いずれから見ても東南アジア(NIES)諸国を中心とするアジアが世界の成長センターになることは間違いない。そのためにはアジア経済を引っ張る日韓両国が友好関係を深めて経済協力をすすめることがキーポイントだ。W杯日韓共催が契機となってスポーツ・文化・観光交流が更に活発になろう。
  事実、共催決定以来、今日まで、日韓開催20都市の知事・市長がソウル、横浜で会合、競技場建設の進捗状況、観光客招待のイベント計画について意見交換したし、開催都市間での青少年サッカーの交流試合や市民団体の文化交流などが活発に行われている。


2002ワールドカップで会場の1つとなる
大分市の「ビッグアイ」も間もなく完成する
サッカー外交のすすめ
  アジアとの共生が今世紀の日本のテーマだ。しかし一口に共生といっても、白ネギや椎茸などの農産物をめぐる日中の貿易摩擦解決のためには農業の競争的共存の途を模索しなければならぬし、大気汚染など環境問題でも日・中・韓が協力してCO2排出規制に乗り出さないとアジアの空はきれいにならない。

 利害相反する争点を調整し取り組んでゆく前提としても、地域住民と地域住民との友好関係、信頼関係が構築されていることが不可欠だ。
  日中友好が「ピンポン」外交から始まったように「サッカー外交」が「アジアは一つ」を実現するうえで大切な役割を果たす。W杯出場にあたって南北統一チームの動きもあるし、W杯後には、日・韓・中、それにアジア各国も参加するアジア杯(カップ)構想も浮上している。

地域づくりとサッカー
  W杯参加国は独立国家に限られていない。オリンピックと決定的に違う。イギリスはイングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランド4地域から。香港は中国返還後もFIFAメンバーシップを持っている。これはサッカーが「ローカルにしてグローバル」「グローバルにしてローカル」であることによる。W杯開催地も日本の場合、東京ではなく静岡、新潟、大分など地方都市が多い。
  W杯に名を馳せたチームの所属する都市もジェノア(伊)、マルセーユ(仏)、ハンブルグ(独)など港町が多い。英国に始まったこの競技を船員、軍人、移民者が世界に伝播したためだという。
  ボビー・チャールトン卿は、かっての強豪チーム「マンチェスター・ユナイテッド」の「星」で、大分県のアドバイザーに就任してもらった。彼の話では、工業都市マンチェスターには、少年、青年、社会人等地域ごとにチームがあり、年に一度、大会があるという。また、人づくりのためのサッカー塾には全国から選ばれた少年が入校。勉強とサッカー漬けの生活を送る。
 大分でも住民・行政・企業が三位一体で応援しているトリニータ(トリニティ大分)が健闘している。サッカーが地域をおこしている。
 「サッカーという『もの』は存在しない。サッカーをする人間が存在するだけだ。進歩するのはサッカーでなく、人間の技術、インテリジェンス、勇気が進歩しなければならない」  こう説いたのはアルゼンチンを優勝に導いた名将セサル・ルイス・メノッティである。

(大分県知事 平松守彦)


読売新聞1月19日号より


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