『朝日新聞夕刊』7月10日号より

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大分県知事
  平松守彦

現職最多の6選に批判票■体力の限り大分売り込む

 今年四月の統一地方選で、大分県知事に六選され、全国最多選の現職知事となりま
した。うれしさの中にも複雑な心境があったことを否めません。得票数が四十八万二
千三百十四票と、初めて五十万票を割ったからです。「多選」や「多党相乗り」への
批判は大分でも激しい。それほど地方自治にマイナスだろうかと自問しながら、六期
目を走り出しました。
 選挙結果は多選や相乗り批判だけとは思いません。一九九五年からの四年間は、日
本の問題を凝縮したような難題が大分県に相次いだのも事実です。

  接待や米軍に苦悩

 九七年には県庁のカラ出張や接待をめぐって、三年間に計約四億三千万円の不正支
出が指摘されました。関係職員を処分し、私も一年間給料を半額にしました。背景に
は自治体の職員が予算を得るため、ひんぱんに東京に出張して中央省庁に陳情を重ね
ざるを得ない現状があります。このムダをなくそうと財政の自立を含めた地方分権を
訴え続けていた私としては、中央集権体制が不正の温床となり、全国で同種の事件が
相次いだのを見て、より一層の意識改革の必要性を痛感しました。
もう一つは、湯布院町と九重、玖珠の三町にまたがる陸上自衛隊の日出生台演習場
に、在沖縄米軍の実弾射撃訓練を移転する問題です。住民の抗議のなか、九七年四月、
久間章生防衛庁長官(当時)から移転方針を通告され、私は記者会見で「国の専管事
項で、苦渋の選択だ」と説明しました。反対運動は今も続いています。
 湯布院は私が副知事時代から町づくりを支援してきた町です。一方で、沖縄の苦悩
も九州地方知事会などを通じ、聞いてきた。痛みを全国に分かとうとするとき、最も
近い九州で、西日本最大の演習場をもつ大分県が「うちはイヤだから、よそでやれ」
とは言えません。
 米軍や演習の存在の是非は国が決めるべき問題です。国防で発言すればパフォーマ
ンスにはなるかもしれませんが、県政にはもっとやるべき仕事がある。この場合は住
民の安全を最大限に守ることです。だから今年一月、県への通告なしで米軍演習用の
弾薬が輸送された時は福岡防衛施設局に強く抗議し、改善を約束させました。

   オール与党で迅速

 今回の選挙で自民、民主、公明、社民四党の推薦を受けました。県議会は共産党の
二議席を除き、「オール与党」に相違ありません。だが知事の仕事の八割は社会資本
整備など基本事項です。独創性が発揮できるのは、一〜二割。基本政策で同じ考え方
の与党が多ければ、必須の仕事を手際よく進めた上で独自の仕事に力を注げます。
 一村一品運動やテクノポリス構想も議会の論議が迅速だったからこそ時期を逸せず
実行できた。昨今、「無党派知事」の提案が議会で相次ぎ廃案になるのを見て、そう
思います。
 任期の四年も長いようで短い。長期的な展望が必要な仕事を軌道に乗せるには十年
単位の時間も必要です。より優れた人材が名乗りを上げれば、潔く譲り、あるいは戦
って敗れ去ればよいだけです。
 長期政権が独裁的になったり、「オール与党」の議会が批判力を失ったりする危険
性は、認識しています。的確な意見を言える人材育成に努めてきたつもりですが、ま
だ十分ではなく、県庁内に「平松に任せておけばよい」といったムードがあるのも事
実です。独善に陥らず、反対意見を引き出す努力も私の責務と自戒しています。

  出馬は男子の本懐

 実は今回の出馬は、ぎりぎりまで迷いました。今辞めれば惜しまれるかもしれない
が、続ければ成功してもほめられず、失敗すれば多選やオール与党化と結びつけて罵
られるでしょう。決意したのは、それでも望んでくれる県民の声に男子の本懐を感じ
たからです。やりたい仕事も、自信もあるのに、名を惜しんで意を曲げるのも性分で
はない。西南戦争に散った西郷隆盛も、きっと後悔はしなかったと思います。
 二十年間、「大分県のセールスマン」として実績も伸ばしてきたつもりです。売り
込む商品と体力が続く限り、店じまいするわけにはいかないのです。


ひらまつ・もりひこ
大分市生まれ。東大法学部卒業後、49年商工省(現通産省)入省。電子政策課長などをへて74年国土庁長官官房審議官。75年大分県副知事、79年大分県知事に初当選、現在6期目。91年から九州地方知事会会長。75歳。