讀賣新聞 7月27日版より

  読書手帳   


    (第3回)    
 七月。一年前の真夏日、新宿の病院に、丸山眞男先生をお見舞いした。亡くなられる 半月前のことである。

 大分佐伯市出身で明治初期に新聞人、文化人そして政治家でもあり「普遍人」と先生 が高く評価され、自ら序文を書かれた「矢野龍渓資料集第一巻」(大分県先哲叢書編纂 会)が出来上がったので持参した。「丸山眞男の世界」(みすず書房、1800円)に 絶筆となった全文が記載されている。

 「矢野龍渓とはそも何者なのか」に始まる小論の中で、当時、政治小説のベストセラー であった「経国美談」を日本近代文学の創始であることを認めようとしない文学界の反 政治性こそ今日の文学の課題だと鋭く指摘している。

 大学時代「東洋政治思想史」の講義を聞き、昭和六十年来県された時、福沢諭吉の 「分権論」を教えられ、「『文明論之概略』を読む」(岩波新書上・中・下)では「福 沢惚れ」を自認される先生によって福沢の文明論を理解することが出来た。その後、幾 度かの文通の中で「地方分権」という言葉自身が不十分で、むしろ「地方主権」の立場 が大切と示唆をうけ、拙著「私の日本連合国家論」(岩波書店、1500円)が生まれ た。先生から「優」をいただけるかどうか。

 もう一人の師、岡義武(1902―1990)先生の「ロンドン日記」篠原一、三谷 太一郎編(岩波書店、4700円)は、昭和十一年から一年ロンドンに滞在した若き政 治史専攻学者の手記だ。

 当時、日本では二・二六事件、ヨーロッパではナチスドイツの侵略戦争が始まり、暗 い世相の中で、先生のリベラルな目は冷静に時代の底流を見通しているように思える。

 戦後、日本及び欧州政治史、外交史の講義を受けた。敗戦直後の混乱期に、頭髪をき ちんと分け、濃紺、立て縞のスーツ、赤いチーフ、ソフトを深めに着用されるダンディ な先生の講義は文学的で一字一句ノートした。

 岡ゼミだった私には「岡義武著作全集」(岩波書店、全八巻)は、今読んでも大学時 代の知的興奮がよみがえる。
                          (大分県知事)