海外からの風が箱根に呼び寄せて
92年は海外から始まった。
海外からのゲストが多かった別府湾会議はにぎやかしくはあったが、90年に仕掛け
たサンタモニカ市のPENとの電子交流が1月1日より始まっていた。ケン・フィ
リップスは、一時期のアメリカ国内のジャパン・パッシングのおさまりを感じさせつ
つ、一週間に2〜3度のポーティングを行ってきた。
英語の不得意な我々は、数人の書き込みに頼っていたが、それによるとPENの中で
も非難・誹謗・中傷・人身攻撃がひどくなって通信をやめてしまったり読むだけに専
念する人が出ているとのことが伝わってきた。どこでもその種の問題を乗り越えよう
と苦労しているようだ。
別府湾会議が大盛会であったが、周囲はバブルがはじけ、なんとなく不景気感が東京
から伝わり始めていた。
つまり、研究所は財政的につくり難くなってきていたし、そのためにあちこちへの
PRをより強めざるを得ないだろう。日本経済勉強会の座長である日本銀行の大分支
店長であった横内龍三さんは4月に本店の電算情報局次長に栄転された。これは面白
い、と、研究所のPRも込めて日本の金融を絶対的に司るコンピュータルームを見学
させていただいたが、これこそ映画のような厳重な警戒とフェイルセーフ・システム
だった。
また、コアラ見学者はあいかわらず多かったが、コアラのことだけでなく研究所の
PRを行ったのはいうまでもない。
例会では、そういった外部との接触、外交状況と、コアラの新運営体制のこと、研究
所のこと、それから新しく導入されるであろう公共ホストとしての新ハードシステム
のことなど、重要な話題がいつも投げかけられた。
また、新しい動きを促進し新人を歓迎し、運営に少しでも興味を持ってもらおう、と
例会にテーマを持たせたりしたが、6月例会では「アルバムCOARAを考える」と
題してフランクな意見交換会を行った。
アルバムはコアラ発足以来、幾度となく変化してきている。発足当時は毎回の例会資
料としてA3の紙数枚程度にコアラに書き込まれた内容や新会員一覧をコピーして配
布していたが、喫茶が栄えるにつれ、工藤編集長率いる編集班がプリントアウトした
原稿をお嬢様クラブがガリ版刷り印刷してホッチキス留めにして配布。これはとても
好評であった。しかし、会員が増えるに従い彼女たちの作業オーバーとなり会員の印
刷会社双林社にて87年4月号からB5版小冊子として発行。さらに人気が増すに従
い90年1月、A4版として増量したがこの時期は印刷より編集とプリントアウトに
難しさが表れていた。例会に間に合わせようとギリギリに行うプリントアウトは、富
士通OAプラザの松村知美さんの深夜作業を引き起こし、どの時期にも必ず縁の下の
ボランティア作業がベースになっていた。そして、事務局員の採用によって経費削減
を断行し隔月発行に間引いたり新聞タイプにしてみたり、ミニ版にしてみたりと、一
時期発行スタイル、スタンスが定まらなくなっていた。また、皆が主役になれるよ
う事務局仕事をなるべく多くの会員にお願いした関係上、熱心さあまって事務局都合
とは関係なく発行されて再度予算を圧迫しはじめたり、「事務局から会員への連絡掲
載事項」有無の問い合わせが事務局に行われないまま印刷されたりと、ちょっとした
混乱時期もあった。
が、そういったことを皆で話し合うことは、どこに問題があるかを知って貰え、事務
局支援体制が強固になっていくように思えた。
少しづつ、昔のわきあいあいのムードに戻っていく。
そういった6月の終わり、ハイパーネットワーク社会研究所調査委員会で一緒であっ
たアップル社の原田永幸マーケッティング部長から連絡があった。
「箱根で、ある特別な会議を行うので平松知事に是非ともご出席いただきたい、ひい
ては副社長ともどもそのお願いに大分県庁へ伺いたい」、という。
7月始め、その副社長を空港に向かえに行ってびっくり。
なんと、副社長は副社長でも日本法人の副社長ではなくて、アメリカのカルフォルニ
アにあるアップル本社の副社長だった。アメリカからわざわざ出席のお願いのために
やってきたのであったし、それも頭にターバンを巻いているインド人であったのには
二度びっくり!そのためか、英語がダメな私には彼の名前の発音が一段と難しい。一
生懸命発音しようとする私は、オウムのように何度も根気よく発音訂正され
て、、、、後で名刺を裏返してみたら日本人向けにカタカナで書いてあった。なん
だ、最初からこれを見せてくれればハジかかなくってすんだのに。
その名刺によると、サティーブ・シャヒル(Satjiv Chahil)さんといって、パシ
フィック・マーケッティング担当副社長って書いてある。ふぅー、さすが世界企
業!、と、握手の感触を思い出しながらため息が出てしまう。
さて、その世界企業のアップルコンピュータは、当時(今もそうであろうが)、注目
度ナンバーワンの企業の一つであった。パソコンや家電の最近の販売落込みの中で、
アップルジャパン社だけが“一人勝ち”している、と、新聞全国紙に登場することが
その時期とても多かった。またアメリカ本社の日本企業との連合についてのニュース
が多く、東芝やシャープ、富士通、IBM、、、ほとんどのパソコンメーカーがアッ
プル社と技術提携をしたり共同出資の会社をつくったり。どうやらこれからの情報産
業界の方向性をリードする企業として国内外から引く手あまたらしいし、新聞社も、
情報産業界のことではあるがその重要性から、一般社会ニュースとして一面トップ記
事に扱う判断を行うほどになったからに他ならない。
そのアップル社、最新のディジタル情報技術を踏まえて、21世紀の未来情報化社会
を論ずる特別な会議を箱根で行いたい、という。
なぜそれを日本の箱根で?
彼らによると、これからのコンピュータが家電並の手軽な製品として創られるであろ
う事を予測すれば、その家電製品をつくる能力のある大企業が多く立地する日本の方
が開催場所としてふさわしいこと。今までその種のイベントはアメリカで行うことが
多かったが、今後の世界を動かす歴史的な会議であろうとすれば、アメリカよりも日
本で開催した方が世界会議にふさわしいこと。日本にはニューメディア(この言葉は
日本ではもう古い言葉であるが)を前向きに受け入れようとする風土があること、等
と理由をあげて説明してくれた。
では、その参加者は、と、聞いてこれまたびっくり。
この世界では最も有名な人達がずらりとリストアップされていた。今回の招待者であ
るアップル社会長CEOのジョン・スカリーは超国際的有名人。そして、アラン・ケ
イという人物は、“ダイナブック”という概念を作り出したことでアイドル的に有名
な人。東芝は自社のノートパソコンに“ダイナブック”という商品名を付けて大いに
ヒットしたのもアラン・ケイを知れば当然のことになるのだが。また、世界中から優
秀なスタッフが一度は出かけようとし、そこで研究することを夢みるMITのメディ
ア研究所のネグロポンテ所長は日本ではめったに講演さえ聞けないような人物。
ジョージ・ルーカスとかフランシス・コッポラなんて人は映画人ではなかったっけ?
コンピュータ業界だけでなく、出版や新聞、放送など様々な分野の方々がリスト
アップされている。これは面白い。
どんな基準で選んだの? って聞いたら、
「各社、各業界のトップ、本当に決めることができる力のある方々。代理では困る。
そして、本当にコンセプト/ビジョンを持っておられる方々。限定100人。日本で
行われるから日本からの参加枠を多少広げて30人、海外70人。『マルチメディア
がもたらす新時代の可能性----新しいライフスタイルとビジネスライフを考える---
-』というテーマでディスカッションが出来る方々。原則として政治家の方はお呼びし
ないのだが、平松知事は、ビジョンを持ち実践されておられる方、コンセプトメー
カーとして特別ですし、第二日目の基調講演を行ってほしいんです」
おお、これはすごい。これだけのメンバーの中で、基調講演の一人として選んでくれ
たなんて! これは知事の名誉ということもあるけれど、『大分の名誉』だ。大分が
世界でもその情報化の進む方向がモデル的な意味あいを持つ地域だ、未来的ビジョン
を持っている地域だ、と、認識してくれたことを意味するんでしょうから。素晴らし
いことで、嬉しくなってしまう。
そういったことを、サティーブさんと原田さんは、知事に説明。そして、スカリーか
らの招待状を差し出したのだが、これがまた面白い。サティーブさん曰く「日本式を
真似ました」といって差し出した紙筒み、何重にもまかれてあって、“ふろしき”を
連想させてくれるのだけれど、、、一番底から、日本でお祝いに使う水引きを斬新な
洋風デザインでつくりなおしたものが出てきた。これには、知事もつい手をたたいて
喜んでしまったりして。なかなかしゃれたことをやるなぁ、さすがアップルと納得。
さて、専門家ばかりの会議であって門外関ではないかと、最初はとまどっていた知事
も彼らの話しを聞いて、
「わかりました、行きましょう。
ただし、条件があります。スカリーさんにいつか大分に来ていただいて講演していた
だくこと、これをお願いしてくれませんか」
知事もしたたか。タダではおきない。サティーブさんは知事からの出席の回答をも
らって喜びながら、「ええ、それは絶対に私が約束しますし、スケジュールさえ早め
にはっきりしてくだされば必ずです」と応えてくれた。面白い、世界的ビジネスマ
ン、スカリーを大分に縁付けられそうだなんて。
実は、東京から同行してきた会津さんは、そのスカリーの自伝本の日本語訳者として
以前スカリー来日時にあっていたが、その時、私に相談あって「コアラの名誉会員
証」を手渡したことがった。そして、数カ月後、スカリーから事務局の私宛に感謝状
と名誉会員になる受諾書がサイン入りで送られてきていて、コアラとしても決して
無縁の人ではない。
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